知られざるローマ① Roma sconosciuta 1

知られざるローマ① Roma sconosciuta 1

みなさま、こんにちは。
これからブログでは不定期にローマの知られざるモニュメント、食べ物などをご紹介していきます。
今日はパンテオンPantheonを訪れましょう!パンテオンはよく知られるモニュメントなので、早速「知られざる」のカテゴリーからは外れてしまいますが・・・
とにかく行ってみましょう。

パンテオンは紀元前25年に古代ローマの全ての神々にささげられた神殿として、古代ローマ皇帝のアウグストゥス側近アグリッパにより創建されました。紀元後80年と110年の火災で神殿が傷んだため、118~125年にかけてハドリアヌス帝によって再建され、現在に至ります。
少し歴史のおさらいをすると…ローマ帝国では313年にキリスト教がコンスタンティヌス帝によって公認化されました。(★11/22(日)のローマ歴史講座はコンスタンティヌス帝がテーマです★)
キリスト教が公認化されてから、神殿であったパンテオンがどのような存在だったかは、あまりわかっていません。

300年近くパンテオンについての記録はほとんど残っていませんでしたが、609年になるとローマ教皇ボニファティウス4世はパンテオンを聖母マリアとすべての殉教者にささげたキリスト教の聖堂にしました。
609年から現在に至るまで、パンテオンはキリスト教の聖堂として、サンタ・マリア・アド・マルティリス聖堂Basilica di Santa Maria ad Martyresと呼ばれるようになりました。
Martyresはラテン語で殉教者を意味していて、イタリア語ではmartireとなります。
実はパンテオンにはとても貴重な《パンテオンの聖母La Madonna del Pantheon》と通称されるイコンicona聖画像があります。

今日ご紹介したいのは、このイコンです!
イコンは7世紀初頭にパンテオンがキリスト教の聖堂になった時期からパンテオンに置かれ始めたとも考えられていますが、実際のところいつからパンテオンにあるかはわかっていません。
768~772年には、《パンテオンの聖母》がパンテオンにあったという記録が残っていて、その頃からパンテオンはサンタ・マリア・ロトンダSanctae Mariae Rotundaeという「聖母マリアにささげられた円形の聖堂」と呼ばれるようになりました。
ローマではパンテオンが最初の集中式聖堂(円形の建築)で、聖母マリアにささげられた聖堂です。
その後、ヨーロッパではパンテオンの影響で聖母マリアの集中式聖堂が広がりました。

《パンテオンの聖母》はかつてパンテオンの中央祭壇に置かれていましたが、現在は複製に置き換えられています。
実物の《パンテオンの聖母》はパンテオン内部の小さな礼拝堂で保管され、特別な機会のみ礼拝堂の外に持ち出されます。
《パンテオンの聖母》は、楡の木のパネルに描かれ、聖母がキリストを両手で抱いています。聖母の手は金で覆われ、神の庇護を請う、執り成しの力が示されていたといいます。
聖母とキリストはイコンを観る人々を見つめ返しているかのようです。
バロック期に切断されたため、現在のような形になっていますが、おそらく当初は長方形のイコンであったようです。
幸運にも実物を二度眺める機会があり、数分間だけ聖母子と見つめ合うことができて感激しました。

このイコンはローマに残る中世の聖母子イコンの1つであり、他にもサンタ・マリア・ノーヴァ聖堂Santa Maria Nova(フォロ・ロマーノ内部、現在のサンタ・フランチェスカ・ロマーナ聖堂Santa Francesca Romana)、サンタ・マリア・イン・トラステーヴェレ聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂、サンタ・マリア・デル・ロザリオ聖堂に現存します。
これらのイコンは中世を通じてローマで崇敬を集め、宗教行列に用いられることもありました。

またイタリアと日本の行き来ができるようになったら、是非パンテオンで中世の姿を思い起こしてみてください!

参考文献:
加藤磨珠枝「ローマの聖母子イコンの起源について」『千葉大学人文研究』33 (2004)、95-124頁。
E. Thunø, “The Pantheon in the Middle Ages”, in T. A. Marder, M. W. Jones (eds.), The Pantheon from Antiquity to the Present, New York 2015